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ハイサイ!ウミウシ大好き!しんやりょう@umiushimeshiです。

「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」というポッドキャストラジオ番組へのブログ記事をきっかけに、インタビューを受けることとなりました。

インタビュアーは、同じくジブリ汗まみれをききまくっていたヘビーリスナーの方。

2013年12月19日に受けたインタビュー内容を加筆、修正して記事にしました。
インタビュアー、文面から人物を特定できそうな友人等には許可を頂き、掲載しております。

ラジオ番組についての言及というより、僕自身のこれまでの”生き方”や”考え方”そのものをひきだしていただいたような。

このブログのコンテンツは”僕自身の生き方そのもの”です。
しんやりょうという人物になにかしら興味を持ってくれて、もっと知ってみたいと思ってくれたのであれば、読んでみるとおもしろいと思います。

インタビュー記事全文掲載

ポッドキャスト「ジブリ汗まみれ」をきいていた時期

いまは、『汗まみれ』、ぜんぜん聴いてないんです。
今回、こういうお話をいただいて、あらためてバックナンバーをザァーッと見返してみたら、「あ、これ、何回も聴いてたな」と思い出したのが、押井さんが『ポニョ』について語っていた回で。

この回がキッカケで彼にハマって、押井さんの作品や著作をどんどん追いかけはじめましたね。およそ1年まえのことです。

『汗まみれ』を聴くまで、押井守という名前すら知りませんでした。
ジブリのことも、人並みには観てきたかな……程度で、DVDを持っているほどのファンではありませんでした。
ジブリ自体への興味というより、鈴木さんへの興味から聴きはじめた感じですかね。

それに、この番組って、ほんとうにいろんな分野のゲストが出てくる。
いろんなひとのいろんな価値観にふれられることが、聴いていた当時のぼくにとってはおもしろかったんだと思います。

iPhoneを持ちはじめたのが4、5年まえで、そのころに『汗まみれ』にかぎらず、ポッドキャストをよく聴いていました。
当時、大学でストリートダンスをしていたので、いちばんはじめに聴いたポッドキャストは、ハウスのミックスをひたすら流してる音楽番組―『Beach House Podcast』など―でしたね。

あとはお笑い系……『火曜JUNK 爆笑問題カーボーイ』や『JUNKサタデー エレ片のコント太郎』。
英語を勉強するために英語放送の番組を聴いたりもしました。
ジャンルはけっこうバラバラです。

自分が興味あるものを、チョイチョイつまんでる感じでした。
ラジオのいちばん好きなところ、ですか? 聴いている側が「勝手に」想像できるところですかね。聴き手しだいでイメージを誇張できる。鈴木さんのキャラクターにしても何にしても……。

受身ではないメディアというか。
人間って、ほとんどの情報を視覚で得るっていうじゃないですか。
それだけに「聴く」って、ふだん使ってない類の想像力を必要とするし、どんなにちゃんと聴いても、そこで語られていることに関して「100%は分かりきってないな」というモヤモヤが残る気がするんです。

逆に、動画や写真って、サラッと観ただけでも分かった気になるし、どこか「満たされちゃう」感じがあると思うんですけど。

高校生〜大学生時代

高校のころから、いろんなコミュニティに顔を出していました。
当時すでに、なぜかはわからないけど、青年海外協力隊に興味があったので、そっち方面のおもしろそうなイベントがあると、ふらっと行ってはボランティアで手伝ったり。
わりと抵抗なく、どんなところにでも入っていくタイプかもしれません。

そういうことは、大学に入ってからも、社会人になってからも……わりと最近まで、ずっと続けてましたね。
国際協力への興味があるという以上に、自分がふだん所属しているコミュニティ……
学校とか会社とか、そういうもの「以外」の場所に入っていくことが、すごく好きなんだと思います。

ふだん接しないようなひとに会いたい、いろんなひとの、いろんな価値観に触れたいという思いが根っこにあるんでしょうね。

苦手なひとは……あんまり、いないですね。
強いていうと、愚痴っぽいひと。

ああでも、「このひと、苦手だなあ……」と思うことが少ないのは、どのひとに対しても、あまり深くまで突っこんでいかないからかもしれないです。
どんなひとでも、ずっと一緒にいると、いろんな面が見えてくるので。

ダンスをはじめたのは、高校からです。
経緯は……高校で、まず水球部に入るんです。
でも、半年でやめちゃって。そのあと、生まれて初めてのバイトをしました。

「貯めたお金で何しようかな?」と考えていたら、たまたま、まわりにダンスをしている友だちが何人かいたこともあって、ダンススクールに通いはじめた、という流れですね。

大学に入ったら、あると思っていたダンスサークルがなくて。
とりあえず、ぼくの代と先輩の代―ぼくの代は5人ぐらい、先輩の代は10人ぐらいいました―とで、なんとなく集まって踊りはじめました。
最初のころは、ほんとうに曖昧な活動で、毎日来るひともいれば、たまにしか来ないひともいましたね。

そうこうするうちに、「形にしよう」という話になり、ぼくが書類つくって大学へ出して……気づいたらサークルができていました。

大学1年で代表としてサークルを立ち上げ、卒業まえの4年時には、総勢3、40人ほどのサークルになっていました。
そのころには、チームを組んで自分の大学や他の大学の学園祭に出たり、イベントを企画したり、いろいろなことをできるようになっていました。

ゼロからつくった感があったので、そのときの体験は自分のなかですごく大きいです。

右も左もわからない状態で、イベントの企画や演出を考え、基盤的なところを少しずつ固めていくことの大切さを学んだり、
日々のサークル運営がうまくいかなくても、毎日つづけることで、「忘れたころ」に成果があらわれてくる喜びを知ったり。

そういう経験によって、自分で何かをつくることへのハードルは少し下がったかもしれないです。
そして何より、卒業後に後輩からお誘いの連絡をもらうたびに、「ああ、あのときは、まわりも見えなくなってて、いっぱい迷惑かけたのに……」って申し訳ない気持ちと感謝の気持ちがゴッチャに湧きあがってきます。

つくづく「サークルつくって、よかったな」と思える瞬間ですね。

社会人になってみて

大学を卒業後は、教材を訪問販売する仕事に就きました。でも、そこは半年でやめちゃって。
そのあとは、長野県のスキー場と三重県のナガシマスパーランドで住みこみの仕事を。

長野で働いたあと、ひとりで初めて海外旅行に行ったんです。行き先はタイ。
行ってみたら、メチャクチャ楽しかったので、そのときから海外へ行くための選択肢を、いろいろと考えはじめて……。

ただ当時は、選択肢としてワーキングホリデーぐらいしか知らなかったので、「とりあえずお金を貯めよう」と思って、三重県に住みこみで働くことにしました。
でも、三重の仕事が終わったタイミングで「地元で働きながらでも、お金は貯められるよな」と思い、いったん地元へ帰ることにして。

地元で仕事を探しているときに、タウンページに載ってる求人情報を眺めていたら、半導体装置の組み立てをする派遣バイトを見つけたんです。
時給もそこそこ良かったし、「出張あり」と書いてあったので、とりあえず面接に行ってみた。

そうしたら、「出張先は海外です」といわれテンションがあがって。

その半導体の会社では、実質10ヶ月間ぐらい働きました。最初は研修も受けたので、本格的に出張で海外を飛びまわっていたのは、後半の半年でしたけど。
でも、働きはじめて10ヶ月目に会社の業績がズドンと落ち、派遣のひとはみんな切られちゃって……。

そのあとは8ヶ月ほど仕事なしの生活を送り、今年の夏から、沖縄の小浜島にあるリゾートホテルで半年間の契約でバイトしています。

半導体の会社で働いていたときの具体的な仕事内容、ですか?
ウェハーと呼ばれる、半導体の材料になるものがあります。そのウェハー自体を加工する製造機器の組み立てから客先への引き渡しまでをおこなってました。

日本で1回、製造機を組み立て、動作確認をしたうえでバラして、海外の客先のところへ機械を持っていき、もう1回、組み立てて動作確認をするというのが大まかな流れです。

出張でまわった先は、台湾とイスラエルとアメリカ。
どの国も宗教がちがうので、文化もまったくちがっていて。
それぞれの国のちがいもおもしろかったですし、それぞれの国と日本とのあいだに見られるちがいも、おもしろかったです。

考えかた、食べもの、建物……見るもの全部がちがったので。

どんなところで、「仕事に対する考えかたのちがい」を感じたか、ですか?
うーん、それは国というより、どういう企業へ行ったのかに左右される部分も大きいですけど……
行ったなかで、いちばん楽観的な印象を受けたのはイスラエルでしたね。

同じ装置を、同じ工程で、同じメンバーで立ち上げるわけですけど、台湾とアメリカ―アメリカに関しては、韓国系の企業でした
基本的に、2週間で前工程を終わらせるんです。
これ、かなりキツキツのスケジュールなんですけど。

それに対して、イスラエルの企業では1ヶ月かけて立ち上げることも珍しくなかった。
しかも、何か足りない部品が見つかったときにも、ぜんぜん切迫感がなくて、「あ、部品ないの? いまから頼んだら納品されるまで2週間かかる? ま、しょうがないか」というユルいノリ(笑)。

納期がどんどん後ろにズレていっているときでも定時キッカリに帰るし。
彼らのなかでは、残業なんてありえないんでしょうね。
あと何より、働いてるひとが楽しそうなんですよね。

言葉は分からなかったので、雰囲気でしか感じとることができなかったんですけど、根に持ってるものが明るいなあという印象でした。

イスラエルのひとと、日本のひととでは、大事にしているものがちがうんですかね……
プライベートをすごく大事にしていて、「仕事、仕事」という感じじゃなかった。

いちばん不思議だったのは、そうやって、日本人とはまったくちがう働きかたをしているのに、イスラエルでも日本と同じように、仕事が成り立っていたこと。
「同じ仕事をしているのに、なぜこんなにも、ちがうんだろう?」って。

それと、この仕事を経験してみての発見がもうひとつあって。
短い期間で、いろんな土地を転々とする生活が、こんなにも心地よいのかと思ったんです。

もしこれが、「1つの国に1年住んで……」となると、話はちがってくるんですけど。
逆に短期間であれば、メンバー間での相性や土地との相性など、多少の問題があったとしても、がんばれるんです。
2週間ごとに「つぎへ、つぎへ」という感じで移動するのが、ぜんぜん苦じゃなかった。

そういう、自分の特性に初めて気づけたのが、この仕事でした。
今後は、同じような状況を自分の手でつくりだせないかなと考えてます。

派遣切りの予兆は……ありましたね。
社内の受注システムを見ると、向こう2ヶ月間の受注量を確認できるんですけど、あるとき、数字がガクンと落ちたんですよね。
ヒドい週は受注ゼロで……。

それまで、月間の受注が何十台とあって、みんな出張で出払っているのが当たりまえだったのに、出張に行くメンバーが限られてきたり。
ぼく自身も、しだいに出張の予定が入らなくなり、最後のほうは「出社しただけで、1日何もせずに終わる日」があったぐらいですから。

半導体業界では「シリコンサイクル」といって、4年に1度の間隔で、不景気の波が来るという話は以前から聞かされていました。
ただ、実際にその通りのタイミングで景気が悪くなって、その影響が自分の身に降りかかるなんて……。

社内の変化を感じとりながら、「もしかしたら」と思いはじめたら、リストラ宣告を受けて「やっぱりな」という感じでした。
そのあとは、バタバタと部署自体が解散になって、社員のかたも、べつの部署へ散り散りになり……社内はスゴいことになってましたね。

そのとき派遣元から、いくつかお話はいただいたんです。
当時、中国系の会社からの半導体需要はまだ横ばいだったので、そういうところを相手に、同じようなビジネスを展開している別の会社へ移ってみたら? とか。

でも、いろいろ説明を受けても、どうも納得できなくて。
海外へ行くことだけ考えたら、派遣元からのオファーに乗っかったほうが確実だったと思うんです。
「このままじゃマズい。また同じことが起きるんじゃないか」と思ってしまったので……。

つぎも同じような仕事をしようとは思えなかったです。
いただいたお話は、決して悪い条件ではなかったんですけど。

ある日突然、目のまえの仕事がなくなる、そういう現実があるんだと分かって、ただただ、こわかったです。
ちょっとした条件面の損得は、どうでもよくなるぐらい、こわかった。
目のまえの仕事がなくなって、何もできない自分が、そこにいたわけで。

「働いてる会社がなくなったら、なんにもできないじゃん、自分」って。

それまで当たりまえだと思っていたことが「実は、当たりまえじゃないのでは?」と思いはじめたのが、その時期でした。
お金で解決できないものはないと思っていたけど、「そうじゃないかも?」と思ったり。

自分がいかに、「仕事だけ」で生きてきたかもわかって。
クビになるまえは、昇進して正社員になるとか、仕事で結果を出すことだけがすべて、みたいな感じでしたから。
で、仕事というものが目のまえからなくなった瞬間に、楽しみを全部奪われたような感覚になった。

そのときですよね、切実に「このままじゃマズい。生きる力がほしい」と思ったのは。

このころ、熊本の賃貸アパートに住んでいて、失業手当が出たので、会社をやめて3ヶ月間は、熊本に残って仕事を探していました。
いま冷静な頭で考えると「なんで?」と思うんですけど、当時は「熊本にいるんだから、熊本で仕事探さないと」とムキになってました。
ぜんぜん、まわりが見えてなくて。

「実家には帰りたくない。お金も借りたくない。稼げる仕事を探さないと……」
みたいなことも思ってて。
妙に、自分なりの「決めごと」にこだわってたんですよね。

そのうち、だんだんおかしくなってきちゃって。
結局、あきらめて地元に帰ってくるんですけど。
そのころに、『汗まみれ』を聴きはじめました。相当のめりこんで聴いてましたね、夜中とかに。

いま思えば、生活スタイルをガラリと変えたのも、その時期でしたね。
本を読みはじめたのも、ブログとランニングをはじめたのも、facebookを見る時間が極端に減ったのも、全部そのころ。

もともと、お金を出してまで本を読んだりはしてなかったんですけど、このころから急激に読書量が増えていきました。
半年間で、書籍代に20万ぐらい使いましたから。
本以外にもmac bookを買ったり。
50万あった貯金は、そのころに、ほとんど使い果たしました。

ジブリ汗まみれに没頭した日々

押井さんがゲストで出てる回は、ぜんぶ聴いてます。
どれもおもしろかったですけど、いちばん好きなのは、押井さんと鈴木さんと川上さんが3者対談して、養老孟司さんの『唯脳論』について語っている回ですね。

なぜ印象に残っていたのかというと……
ちょうど、この回を聴いたのって、派遣切りに遭った直後で、自分の生きかたを変えたいと思っていた時期だったから……ですかね。

たしか、「環境を変えるのが先か、自分が変わるのが先か」っていう話が出てきましたよね。
「何が自分を変えるキッカケになるんだろう?」と、すごく気になっていたころだったから、そういう話が響いたんだと思います。

その意味で、この回の結びの部分で出てきた「自分の行動を左右しているのは、脳みそではなく言葉であり思考なんだ」という言葉は、インパクト大でした。

かならずしも、この話だけの影響ではなくて、ブログをはじめたことも関係しているんでしょうけど、このころから、ふだん発する言葉や接する言葉に、気を遣うようになった気がします。

ひとことでいえば、「自分を変えるためには、言葉を変えればいいのかな」と思うようになった。
それは自分が発する言葉に気を遣うっていう意味でもそうだし、まわりとのやりとりのなかで、どれだけ良い言葉を逃さないかに注意を払うようにもなった。

言葉が思考を変え、思考が変われば捉えかたも変わって……最終的には、自分を変えることにつながるんじゃないかなと思ったんです。

少なくとも、以前より、言葉について考えるのが好きになったし、言葉について考える時間も増えた気がします。
このまえ、『100の基本 松浦弥太郎のベーシックノート』という本を読んでいたら、「ぼくは『普通』と『絶対』という言葉は使わない」みたいなことが書かれていてハッとさせられたり。
「『普通』っていう言葉を使わないのって、すごくむずかしいよな」と思って。

またあるときは、「怒る」と「叱る」のちがいについて考えていて、こんなことを思ったんです。
言葉をうまく使いわけられないのは、自分のなかのいろんな感情を区別できていないからなんじゃないかって。
つまり、いろんなことをゴッチャにしちゃってるときには、うまく言葉が出てこないなあと。

誰かがいったことに対して、「とりあえず否定」から入るひとって、いるじゃないですか。
ぼく、そういうひとが苦手なんですけど、こうして微妙な言いまわしのちがいについて考えるようになって、「なぜ自分は、そういうひとが苦手なのか」を整理できてきて。

否定したがるひとって、相手の話していることと「自分が思っていること、考えていること」とを混同しているから、否定しちゃうのかなって。
まずはいったん、相手のいったことを受け入れる、ということをできていないんだろうなと。
自分と相手がちがうのは当たりまえってことを分かってないんですよね、たぶん。

ここ最近出会った言葉で好きなもの、ですか? 
高城さんの「移動距離とアイディアは比例する」という言葉ですね。
これって、さっき押井さんの回でもふれた「環境を変えれば、自分も変わる」っていう話ともつながってくる。

人間関係にしても何にしても、ずっと同じ場所にいると、「淀み」が出てくるように思うんです。
いまの職場にいても感じることなんですけど、3、4年働いているひとほど、愚痴っぽくなっていたりする。
「仕事、変えたい」といいながらも、結局、外に出られなくなってしまっていて。

そういうひとたちを見ながら「ずっと同じところで働くことが良いとはかぎらないんだな」と思って。
「ちがうもの」を見ないと、自分のことを客観的にすら見れなくなるんじゃないかと。

だから、将来的には、いろんな土地を転々としながら生活したいんですよね。
できることなら、移動しつづけていたい。
住む場所にしても仕事にしても、「ひとつ」に依存したくないというか、依存したらマズいんじゃないかという思いすら、あります。

依存から自立するために書き出したブログ

いまの自分にとって、ブログを書くことは、3度の食事と同じくらい、生きていくうえで欠かせないものといっても過言ではありません。
仕事ではない……でも、完全な自己満足だけでやっているつもりもない。

書きつづけているうちに、走ることを含め、日々のいろんな場面と書くことがリンクしはじめるのが楽しくて楽しくて、しょうがないんです。

それに、ブログを書くことで、少額とはいえ、月に1000円、2000円と、お金が入ってくるようにもなって。
好きなことをやって、お金があとからついてくる感覚が、こんなにも気持ちいいとは思いませんでしたね。

これまで、どこかに雇用されて収入を得る方法しか知らなかった。
だから、雇用されて働くという選択肢のなかでしか、やりたいことを考えられなかった。でも、それだけじゃないんだなと思えるようになってきて。

ブログをスタートして3ヶ月目に、はじめて「売上額:10円」という画面を目にしたときは、ものすごく感動しました。
べつにブログだけで生計を立てていこうとは思ってません。
ただ、いろいろなことに前向きになれたし、「もっと、いろんなこと、やってみたい!」と思えるようになった。

ブログをはじめたことで、なにか吹っ切れたような感じはありますね。

それに、ブログをはじめてからは、ソーシャルメディアとの接しかたが、受身でなくなってきた。
以前は、「少しでも時間が空くと、とりあえずFacebookのタイムラインを眺める」っていう感じだったんですけど、いまは基本的に、自分がブログで発信した情報に対して反応してくれたひとがいたときにだけ、Facebookを見るようにしています。

だから結果的に、自分のなかでのソーシャルメディアの位置づけが「時間があったら見るもの」から「時間をつくって見るもの」へと変わってきた。
派遣切りになって以降、とくにそう感じるようになりましたけど、「ただ、なんとなくダラダラとFacebookを見ている」のって、精神衛生上あまり良くない気がするんですよね。

ぼく、Facebook上の友だちは200人ぐらいなんですけど、あまりにも大量に「あのひと、こんなことやってる」「このひとは、こんなことやってる」っていう情報を浴びつづけてしまうと、だんだん嫉妬めいた感情が湧きあがってきて。
だから、あまり無闇に情報を入れすぎるのも良くないなと思うようになりました。

ブログをはじめたキッカケ、ですか?
大学時代の女友だちに薦められたから、ですね。その子はウェブデザインの仕事をフリーランスでやっていて、福岡在住なんですね。
なので、半導体の仕事をやめた直後、ぼくはまだ熊本に住んでいて近かったこともあって、久しぶりに会ったんです。

で、仕事を探していることとか、最近読んだ本のこととか、いろいろ話していたら「話おもしろいから、ブログ書いてみれば?」といってくれて。

その子、感性がちょっと独特なんですよ。高校時代に1年間、ドイツに留学していたせいなのか、会社員ではなくフリーランスという形で働いているからなのかは分からないですけど、
良い意味で感覚がまわりとズレてる。
目のつけどころかが変わっていて、おもしろい。
ぼくの周囲にいる友だちのなかでは珍しいタイプなんです。

ああ、そういえば、ぼくのブログのタイトルを「おすそわけ.com」にしたのも、その子がヒントをくれたからですね。
あるとき、その子が四葉のクローバーを見つけてきて、その写真をわざわざ送ってくれたんですよ、「おすそわけだよ」って。

そのときに、なんともいえない幸福感があったので、「この写真、facebookに載っけてもいい?」と訊いて、同じように「おすそわけです」と言葉を添えてアップしたら、「いいね!」の嵐で。

その「いいね!」が、ふだんもらっていた「いいね!」とは質感がちがって、心地よかったんです。
「こんな美味しいもの、食べてきました」とか「こんな場所に行ってきました」とか、そういう報告への「いいね!」とは、ぜんぜんちがっていて。

そのときの感覚が妙に残ったので、タイトルにしたんです。ブログに関するキッカケは、ぜんぶその子が運んできてくれてますね、おもしろいことに。

なんでか分からないけど、ブログとランニングはセットではじめたんですよ。
ただ、ランニングをはじめ、そしてランニングをつづけている理由は、けっこうハッキリしています。
それは、「前に進んでいる実感が欲しい」から。

とくに、ランニングをはじめたころは仕事をまったくしてない状態だったので、そういう欲求が強かったんだと思います。

最初のうちは、2キロしか走れませんでした。
でも毎日走って、少しずつ距離をのばしていったら、3ヶ月後には10キロ走れるようになったんです。
そうやって距離がのびていくと、走りながら「昨日までは見れなかった景色」が目に入るようになってくる。

そのことが、うれしくて。
昨日の自分」と「今日の自分」はちがうんだということを体感できるから。

いまの話は、「外の変化」を通して、自分の変化を感じるという話ですけど、逆に、走ることがそのまま「自分の内側の変化」を感じとるキッカケになる側面もあります。

基本、ひとりでランニングするので、自分のペースを守って走ることになる。
すると、自分の日々の生活のいろんなことにリンクしはじめるんです。
たとえば、しばらく走って「あ、今日はちょっと息が荒れてるな」と感じたら、「ああ、ちょっと焦ってるのかもな」と思ったり。

「じゃあ、なんで焦ってるんだろう?」と走りながら考えているうちに、「ああ、そういえば、何日かまえに、友だちからこういうこと言われたからなあ」と思い出して。
走っていて、何らかの違和感をおぼえたときって、かならず何かしら、思いあたるフシがあるんですよ。

ランニングをはじめたキッカケのひとつは……村上春樹さんの『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』を読んだこと、ですかね。
この本、村上さんの思考が覗けて、すごくおもしろかったです。

実際、自分が走るようになって、村上さんとレベルはちがえど、「『書くこと』と『走ること』の相性って、こんなにも良いんだ!」と発見できたのは、よかったですね。
この2つをセットにすると、お互いに影響をおよぼしあって、結果、生活が豊かになるような気がします。

ちなみに、村上さんの本は、小説も持ってはいるんですけど、ぜんぜん読んでません。
エッセイとかインタビューは好きなんですけどね。
『走ることについて語るときに僕の語ること』と『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』は、何度も読みました。

『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』を知ったのは、半導体の会社で働きはじめたころに千田琢哉さんの『人生で大切なことは、すべて「書店」で買える。』を読んだときに……です。

高城剛さんの存在を知ったのも、この本がキッカケでした。
『人生で大切なことは、すべて「書店」で買える。』のなかで紹介されている本は、ほぼ片っ端から読みましたね。

海外によく出張で行ってたころから、本を読むペースがグンと上がっていって。
そのころは、月に5冊から10冊ぐらい。
で、仕事をクビになったあたりからは、さらに上がって。時間があり余ってるので、「止まらない」みたいな感じでした。

まあでも、思いかえしてみると、この時期って基本的に、「ラジオを聴く」「本を読む」「走る」「ブログを書く」、この4つしかしてなかったですね。
会いに行ける距離に住んでいる友だちにも会いに行かなかったですし。ホント、ほぼ引きこもり状態でした。

いまよりも、もっともっと「プライドの塊」みたいな人間だったので。
「仕事してない自分を誰にも見せたくない」っていう思いが強かったと思います。

ぼく、プライドは高いほうだと思います。
小さいころから、大して高い目標を掲げてきたわけではないけど、やりたいと思ったことは、達成してきたほうなので。

だいたいなんでも思った通りに進んだ学生時代の話へ

生まれは、鹿児島の田舎なんですが、子どものころから、学校の成績は良いほうでした。
中学のときに、ある先生がパソコン部をつくってくれて、パソコンにふれてみたら想像以上におもしろかったので、ゲームづくりにハマって。

そんなこともあって、先生からの印象も良かったのか、私立の高校への特待生の推薦をもらえたんです。
高校卒業が近づいてきたときも、「就職、どうしようかな……」と思っていたら、親とか先生から「大学受けてみたら?」と薦められて、学校からの推薦ももらえたんで、佐賀大学を受験したら合格して……。

大学時代は大学時代で、さっきも話したように、サークル運営に夢中になっているうちに、気づいたら大学生活が終わってました。
すごく充実感のある4年間だった。
子どものころから一貫して、やりたいことをやりたいままやってたら、みんなから応援してもらえて……みたいな感じで過ごしてきたというか。

学生時代は「楽しいこと」の連続だった。
でも、社会に出たら一転、「うまくいかないこと」の連続で……。

両親とも、大学を出てないんですね。
それもあって、親にしてみれば、まさか息子が大学に受かるなんて思ってなかったらしく、受かったときはすごく喜んでくれました。
受験のときに「国立の大学に受かったら、県外へ出てもいいよ」といわれていて、実際かなりお金も出してもらったんです。

親からの期待が大きかったぶん、就活の時期になると、家のなかは「大学卒業するからには……」っていう無言のプレッシャーで満ちていました。

プライドの話にもどると、そういう親の視線や期待を感じながら、自分のなかに「両親を裏切れない」っていう気持ちが芽生えていって、結果、プライドの高さにつながっているということはいえると思います。

父親はもともと船乗りの仕事をしていたんですけど、ぼくが生まれたころに船を降りて、それ以来ずっと公務員なんです。
母親は保育士一筋。

両親とも、安定した職業でずっとやってきたひとたちなので、「正社員がすべて」みたいな価値観が強い。
何か物事がうまくいかないと、親の顔が真っ先に思い浮かぶ。

そうやって堅実に着実に生きてきた親と自分を比較してしまって、「わざわざ大学まで行かせてもらったのに……」と申し訳ない気持ちになるんですね。

大学時代の就活について、ですか?
卒業ギリギリまでダンスばっかりしていたので、ほとんど何もしてませんでしたね。
漠然と面接を受けて、受かったところに入ってみたという感じでした。

でも、後悔の気持ちはないんです。
良いことも悪いこともひっくるめて、いまの自分は、過去の自分がしてきたこと、してこなかったことの延長線上でしかないと思ってるんで。

そういう意味では、どの瞬間も無駄じゃなかったのかなと。

一見、悪いできごとのようでも、意外とそういうものを通じて、自分を見つめ直すこともできたりしますしね。
最近の話でいえば、中卒や高卒の子がぜんぜん当たりまえにいる環境で、彼らと同じ時給、同じ仕事をしているようになった。

そういう体験をして初めて「あ、いままでの自分って、学歴だけで人を見てたんだな。ヒドい奴だな」と気づいて。

ここ数年間で、自分のなかのプライドや常識を少しずつ壊していってる感覚はあります。
海外での仕事や、リゾートバイトを通じて、たくさんの「ちがうもの」を目にすることができたから。

それは自然と、「以前の自分だったら認めなかったような生きかたのなかにも、自分に合うものがあるかもしれない」という思いにつながっていって……。
なんか、勝ち負け以外の尺度で物事を考えるようになった気がします。

これまで意識しなかった価値観から抜け出す

考えてみたら、社会に出るまで、お金について、学んだことも教わったこともなかったんですよね。
まるまる、両親のお金に対する価値観のなかで、ぼくは生きてきた。
家を買うにしてもローンを組むのが当たりまえだと思っていたし。

あと、高校と大学で、奨学金を借りてるんですよ。
借りるときは何も考えてなかったんですよね。
でも、いざ社会人になって、毎月2万ほど返すようになって……ホント、けっこうな負担なんですよ。

「この2万円があったら、いろんなことができるよな」と何度、思ったことか。
いまは、学生時代のように、稼いだら稼いだだけ使っちゃえ! みたいなことができない。
奨学金は、自分にとって、ひとつの足枷ではありますね。

そもそも、ちょっとまえまでの自分は、お金に対する知識が何もなかった。
会社で働いていたときは、ただ天引きされてるだけだったんで、何も考えずにすんでしまったから。
会社を辞めてはじめて、年金のことだとか、いろいろ分かってくる。

お金に対する考えかたが徐々に変わってくるなかで、いろんなものを「減らす」ようになりました。
ケータイを解約して、プリペイドケータイに替えたり。削れるものは徹底的に削ってみる。

「月にいくらあれば、自分は生きていけるのか?」を探求していってる。
お金がないなら、ないなりに、自分ができることをやっていくようになった。
いろいろ手放してみると、「あ、まえはこんなにムダな出費してたんだ」と気づく。

「お金を使わずにすませる」ためのアイディアを考えたり実行するのが楽しくなってきて。けっこう頭使うんですよね。

ここ最近で手放したものの具体例、ですか?
車、テレビ、あまり気の進まない飲み会への参加、クラブ遊びを中心とした夜型の生活……といったところでしょうか。

まずは自分の時間を大切にしたうえで、興味を持てるものであれば、まわりからのお誘いにも乗るようになった。
以前は「誘われたら、断らない」スタンスだったんですけど。

夜型の生活をやめたのは、夜遅くまで起きていると気分が落ちやすいのと、朝早く起きたほうが1日気持ちよくすごせるから。

それに、月2万円は引かれるんだったら、世界中どこにいても、2、3万円稼げる仕事をできれば……あとは現地に行って、住むところ食べものさえどうにかできれば、生きていけるじゃないですか。

奨学金とはいえ、何百万とある借金を一気に返す気はありません。
一気に返すんじゃなくて、定期的に収入を得られる方法を考えたほうが、何年後かの自分の可能性としては、いいんじゃないかなと。

あんまり急がなくていいのかなと思うようにはなりましたね。それはブログにしても何にしても……少しずつ階段をのぼっていけてる実感があるからだと思います。

こういうふうに考えが変わったのは、派遣切りに遭ったことが大きかったと思いますけど、わりと最近読んだ、伊藤洋志さんの『ナリワイをつくる:人生を盗まれない働き方』という本の影響も少なからずありますね。

この本のなかに、「『なぜ』よりも『そもそも』をつねに考えたほうがいい」と書かれていて。「なぜ」を突きつめていくと、型にはまった思考に陥りやすい。
でも、「そもそも、それって必要なの?」と考えていくと、一歩抜けだしやすくなるなんだと。
それは、ホントそうだよなあと思って。

「そもそも」を突きつめていくと、モノ減らしも抵抗なくできる。
「もっと安いモノを……」じゃない考えかたは、すごくおもしろいと思います。

伊藤さんの本を知ったのは、ブロガーのイケダハヤトさんの『イケハヤ書店』を読んだときに、です。
伊藤さんの何がすごいって、自給力。

そこへの憧れがあります。企業のなかで働くよりも、そっちのほうへシフトしていったほうがいいんじゃないかなと。
食べるものにしても、ある程度、自分でつくれちゃったほうが、お金もかからないし、何より楽しいと思うんですよね。

出世よりも自給力をあげといたほうが、40歳、50歳になったとき、楽しいんじゃないかなって。
伊藤さんの考えかたって、すごく健康的だと思う。

いま、こうして話しながら思いましたけど、現実をちゃんと見ているところとか、「このひと、ウソ言ってないな」と思わせる感じとか、ぼくが伊藤さんと押井さんに惹かれるのは、2人のなかに共通する何かを感じとっているからなのかも。物事の本質を突いている感じがするというか。

インタビュー後記

編集ありきとはいえ、自分の発した言葉を自分で読むと不思議な気分です。
ブログを読み返すのとは違う。
自分であって、別の自分にも感じる。

最近特に、過去について思い返すことがほとんどないように思うので(すぐ忘れる)「今」に没頭できて「少し先の未来」を考える時間をつくれるようであれば、増々楽しくなっていくのかなと。

記憶ってものすごく曖昧です。正直読み返してみて、数字的な部分とか「え、そうだったっけ?」ともう自分の記憶や感情が変化してることがわかります。
脳が都合良く記憶を美化するのは、人間の生存本能なんだろうし、毎日楽しいのでいっかと笑

なので、僕と出会ったことがある人は「それは違うよ!!」とか「そうだっけ?」とか読んだらあると思うんです。
それほど記憶は曖昧で、人によって感じ方も考え方も違うということなんでしょう。

昔っから海外に興味があって、今もそうだというのはずっと変わらない軸のように感じます。
読み返して「フラフラしてるわりには軸は変わらないんだな」と自分に感心したりと、インタビュアーの方には本当に感謝しております。

インタビュアーのK様、貴重な体験をありがとうございました。
この場を借りてお礼申し上げます。

インターネットのすごさを実感したと共に、リアルに繋がってこそ僕がブログを続ける意味があるのかもしれないと、意味を考えてみたりもしてます。

次は僕自身がインタビューをするようなことにも挑戦していこうと思います。

記事の中で紹介された「影響を受けた本」はこちら

文中で触れてある番組や関係する本など太文字で書いてある部分の紹介。
興味があれば聴いてみたり読んでみたりしてみてください。

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