写真はニュース記事サイトより転載

先日、人生で初めて、目の前で人が溺死しました。
あまりにも突然のことで驚いたのもちろんのこと、僕が感じた正直な気持ちはこうです。

「人はこんなにもかんたんに死ぬものなんだ」

ただただ無力感でいっぱいでした。

今回はその事故の現場にいた一人としておもうことを書いておこうと思います。

ラジオやテレビで放映されたのはもちろんのこと、インターネット上にも記事が公開されています。

英語で元記事を読みたい方はこちらからどうぞ。

Woman drowns on Sunshine Coast

自分なりにかんたんに翻訳してみた記事も書いておきます。

サンシャインコーストで人気のビーチにて夕方頃、70代の女性が溺死。

Alexandra Headlandにて70代女性の死亡を確認。

女性は夕方以降、現地で泳ぐことは危険であることを理解したうえで事件となった模様。

アレックスサーフクラブのマネージャーによると、若いサーファーがかけつけ彼女を助けようと試みた、家族が見守る中、救急隊の決死の救助も行われた。

”皆が迅速に対応し、行動していた”

地域のライフセーバーが2人かけつけたときには、痛ましいことにすでに彼女はなくなっていた。

“残念なことだ”

亡くなった女性が泳いでいた場所は、ライフセーバーがパトロールするビーチよりおおよそ400Mも離れたところであり、警報機が作動したときにはすでに業務時間外だった。

当日の状況

今住んでいるホステルから海まで徒歩5分ということもあり、仕事終わりの夕方に海辺をジョギングするのは、僕の日課となっていました。
この日も夕方17時ごろでしょうか。
いつもの時間帯にいつものコースを走り終わった頃にビーチを歩いていると異変に気付きました。

何人かの人たちが海から何かをかつぎだしている。
と、突然若い女性が

DO YOU KNOW CPR!?

とまわりにむかって叫んでいる。
近づいてみると、かつぎだされたそれは、溺れて意識を失ったおばあちゃんでした。

CPRとは心肺蘇生法のことです。
職場で訓練を受けたことがある方いらっしゃるのではないでしょうか。

ちなみにダイビングインストラクター(実際にいうと5ヶ月前まで現役)の僕は、CPRの訓練はもちろんのこと、希望する生徒がいればCPRを教えられる立場でもあります。

突然のことに僕は
「はい!CPRできるよ!」
という反応ではなく、
「え?うーん・・・」
でした。

なぜプロである僕がそういう反応をしめしたかというと、
・教えられる立場である僕でさえ最後に訓練をしたのは2年以上前のインストラクター試験を受けたときだったこと
・練習した経験自体が数える程度しかないこと
・実際に現場でリアルを体験したことがなかったこと

などです。

1番大きな要因としては、切迫した環境ですべてが英語のみで進められていく環境にありました。ここはオーストラリアですから。

不幸中の幸いといいますか、すぐ近くにいた若いサーファーの男の人がCPRを知っているということで、早速指揮をとってくれました。

おばあちゃんは意識がなく呼吸だけはかろうじてしている。
救急車は手配済で、くるまでの間にCPRをしなければならない。

僕を含む数人でおばあさんを波の届かないビーチのほうまで移し、サーファーの男の人、他の人が交代で心臓マッサージをはじめます。
僕はというと、おばあさんの頭の近くにおり、頭をささえながら、姿勢を維持したり変えたりするのを手伝っていました。
家族とおもわれる若い女性の方が2、3回でしょうか。
人工呼吸をしようと試みたり、僕はただ気道を確保していただけ。
正直それは僕が練習した過去のものとは全く違うものでしたし、
そのとき現実はこうも違うのかと思い知りました。

CPRの仕方についても曖昧なものになっていましたし、溺れて水を飲んでいる場合、人工呼吸が効果的であろうと思ってはいましたが、僕には率先してそれをやる勇気はでませんでした。
目の前で意識がないおばあさんの朦朧とした目をみながら、飲み込んだ水や吐いた血をみて、僕にはとてもできないと思ったのです。
目の前で人が死のうとしている状況でです。
感染予防用のシールももちろんないし、このまま直接人工呼吸すると感染リスクもある。
そんなことを考えながら僕は、ただただ手をそえておばあさんを見守るだけでした。

救急隊が到着するまでおそらく10分ほどはかかったと思います。
呼吸があったはずのおばあさんは水や血を吐いたあと、呼吸が止まり、救急隊の必死の試みも叶わず。
さきほどまで目の前で生きていたおばあさんは、目の前で亡くなってしまいました。

僕がもし外側から観察していただけなのであれば、
あぁ事故でだれかがなくなってしまったのだな、かわいそうに、
という客観的な印象だけですんだのでしょうが、
今回はそうはいきませんでした。

その日の夜ぼくが考えたことはものすごくネガティブなものばかりであり
自分がもし英語も堪能であの場で迅速に対応できていれば
CPRが完璧だったら
僕はダイビングインストラクターなのに

人生で後悔というものをほとんどしたことがなかったのですが、
このときばかりは、
何かひとつでもあのときうまくいっていればおばあさんは生きていたのではなかろうか。
という後悔の念ばかりでした。

僕ははじめて練習と現実の違いを思い知りましたし、いくら訓練を受けたといえど、現場では必要なものがなかったり、人形相手ではないので躊躇したり、これでいいのかという迷いがでることもわかりました。

もしまた僕がダイビングインストラクターとして復帰したら、今後CPRを生徒さんに教える可能性もでてきます。
実際に僕が体験した講習なんて、テキストを読んで1、2回練習をする、それで資格がとれます。
教えられる立場のプロでさえお金を払って更新すればあとは自己責任、資格保持ができるので、下手したら一生資格を持ちながら一生現場にはでくわさないという例もありえます。というよりそれがほとんどでしょう。

そこまでの責任を背負いながらインストラクターでありつづけられるだろうか。
そんな重い肩書き、ぼくはいらない、ただダイビングだけを楽しみたい、
そんなことまで考えました。

僕の働いている職場には、過去に病院でナースとして働いてきた方がいて、たくさんの死にめんしてきたそうです。
僕が体験したことを話すと、いろいろと相談にのってくれました。

人がそういった現場にでくわすと、
やはり僕のように、ああすればよかったのではないか、こうすれば、という”たられば”の思いにかられるそうです。
そして、日がたつにつれて忘れていける人もいれば、逆に自責の念が強くなり自分自身を責め続けてやんでしまう場合もあると。
だから、もし人に話して楽になるなら話しなさい、そういってくれたのです。

僕はその人に話すことで気持ちが楽になりました。
印象的だったのはこういった言葉です。

たらればの思いはあるけれども、どれだけ全力を尽くしても最初から助からない人はいる。だから、あぁすればよかったとネガティブな考えをやめること。
あなたはそのとき自分にできることをしたのだから
それより、そこから自分はなにを学んだのか、次もしあるかもしれない機会のために経験を活かしなさい。

だいぶ気持ちが楽になったのを覚えています。
一日目は頭の中をずっと反芻していた思いも、日が立つにつれて忘れられるようになりました。

さらには、こんなことも教えてくれました。
人が亡くなった場合は、家族の人はたまに、その現場に実際にいた人に話を聞きたくなるものだよ。
もしできるのなら、おばあさんがなくなった場所に花をもっていって会話をしてみるといい。キャンドルに火をともして会話したら火を消すという方法もある。
なくなった人に話しかけることで気が楽になることもあると。

翌日ぼくは花を買い、おばあさんがなくなったビーチの場所へいき、ご冥福をお祈りしました。

まわりのひとに話すと、助けようとしたそれだけで勇敢であるなど励ましの言葉をいただきましたが、僕がインストラクターであり訓練を受け、資格も発行できる立場であるにもかかわらず何もできなかったという自責の念が1番大きかったように思います。

いってしまえば、監視のない危ない場所で溺れてしまったおばあさんは自業自得ともいえますし、事件というのは見る角度で誰を責める責めないといったことにもなりかねないのだなと感じてます。

事件で体験したことは日に日に忘れつつありますが、僕が今後ダイビングインストラクターとして復帰するのかどうかは、正直迷ってます。

現実に直面して、自分の指導団体の問題、自分自身の意識の甘さにも気付きましたし、今時分がしたいことはインストラクターでなくてもできるのではないか、別の手段もあるのではないかなど。

とにもかくにも、ものすごい体験を僕はしたと思いますし、
ブログにこうやって書こうと思ったのは、いろいろと手放したいという自分の素直な気持ちなのかもしれません。
インターネットは情報の墓場なんてことを聞いたことがありますが、その通りなのでしょう。
書いたひとの様々な念がただよう場所でもあるようです。

もうこんな体験はしたくない、というのが正直な気持ちですが、人生なにがあるかわかりません。

おばあさんの事故からなにかを学び、今後に活かしていくというのが、その場にいた僕なりのはなむけなのでしょう。

ご冥福をお祈りします。

心肺蘇生法の手順

【解説】一次救命処置の手順。心肺蘇生法ガイドライン2015版

当ブログの記事をご覧いただきありがとうございます。また遊びに来てください^^